大判例

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名古屋高等裁判所 昭和25年(う)509号 判決 1950年6月21日

被告人

杉山鉄之助

外一名

主文

原判決中被告人杉山鉄之助に関する分を破棄する。

同被告人に対する本件を津地方裁判所上野支部に差し戻す。

被告人上田小妻の本件控訴は之を棄却する。

理由

弁護人鍋島清の控訴趣意に付いて。

(イ)  原判決が被告人上田小妻に対し認定した事実は論旨摘録の如くであつて、之に依れば原判決の趣旨とするところは、麻薬中毒患者である被告人上田小妻が、原判示のように前後二囘に亘り、原判示の渡辺清躍及吹田喜代次方から夫々座蒲団又は衣類を持ち去つた行為を捉え、之が麻薬中毒のため自制心を失つたものであると謂うに在つて、所論のように同被告人が右座蒲団又は衣類を持ち去つた行為によつて自制心を失つたものであると謂うのではなく、殊に原判決の右認定事実は此の点に関する原判決挙示の証拠によつて優に証明するに足り本件訴訟記録竝原裁判所に於て取り調べた証拠に徴するも、原判決の右認定事実に誤認あることを発見し得ないから、此の点に関する論旨は理由がない。

原判決の趣旨が右の如くである以上、原判決は被告人上田小妻の前記各持ち去り行為を捉えて原判示法条に問擬したものであることも亦縷説の要なきところであるから、原判決が右被告人の行為でなく、其の意思のみを執つて、同被告人に刑罰を科した旨の所論は当らない。

而して原判決の理由を前後判読すれば、原判決は右被告人が前記各持ち去り行為をなした当時、心神喪失又は心神耗弱の状態に在つたことを認定して居ないことが明らかであるから、原判決が所論刑法第三十九条を適用しなかつたのは当然であり、且本件訴訟記録竝原裁判所に於て取り調べた証拠に現われて居る事実に所論各事情を参酌考慮するも原判決の被告人上田小妻に対する量刑措置を不当と認め得ないから此の点に関する論旨も理由がない。

(ロ)  尚進んで原判決が、起訴状には「被告人上田小妻が公安をみだしたもの」と謂うに在るに拘らず、之と異り同被告人が自制心を失つたものと判示認定した点に関する論旨に付按ずると、なるほど原判決が、起訴状には被告人上田小妻が、公安をみだしたものと謂うに在るに拘らず、之と異り同被告人が自制心を失つたものと判示認定したことは洵に所論の通りであるが、其の行為の内容は、起訴状に於ても、将又原判決に於ても、夫々被告人上田小妻が原判示のように前後二囘に亘り、他人所有の座蒲団又は衣類を持ち去つたものであると謂うに在るから其の間事実の同一性に何等変更あることなく、然かも右行為を、公安をみだしたものと解するか或は自制心を失つたものと解するかは、結局行為の法律見解上の差異に過ぎないのであるから、原判決が其の理由中に於て原判示のように判示認定した以上、原判決は畢竟審判の請求を受けた事件に付いて判決をなし、且其の理由を附したものと謂うに何等欠くるところなく、従て此の点に関する論旨も亦理由がない。之を要するに原判決には所論のような違法の廉が毫も存しないのであるから、論旨は其の孰れからするも理由がない。

(弁護人鍋島清ノ控訴趣意)

本件起訴状ニハ

(イ)  被告人上田小妻ハ麻薬中毒患者ニシテ麻薬入手ニ狂奔シ遂ニ自己ノ欲求ヲ制シ切レズ

(一)  昭和二十三年七月中上野市字寺町渡辺清躍方ニ於テ同人所有ノ座蒲団十七枚ヲ窃取シ

(二)  同二十四年二月八日同市八幡町吹田喜代次方ニ於テ同人所有ノ衣類二点ヲ窃取シ

公安ヲ紊シタモノデアル。

右起訴状ニ記載セラレタル(一)(二)記載ノ窃盗行為ハ公訴事実ヨリ除外セラレ麻薬中毒ノタメ為サレタル公安ヲ紊シタル手段行為ナリトハ原審公判廷ニ於テ立会検事ヨリ弁護人ノ問ニ対シ特ニ言明サレタル所ナルヲ以テ本件公訴ハ麻薬取締法第四条四号ニ該当スル違反行為ノ点ニ限局セルコトヲ明カニセラレタリ

麻薬取締法第四条四号ニハ

「麻薬中毒ノ為公安ヲ紊シ、又中毒ノ為自制心ヲ失フテハナラナイ」ト規定セラル

仍テ法ノ規定スル公安ヲ紊ストハ其法意ヲ按スルニ公共安寧ヲ紊スノ意ナリト解スベキガ故ニ本件被告人ノ場合ハ

(1)  被告ノ行為自態公共安寧ヲ脅威紊乱スル行為アルコト例之騒擾罪行為ノ如キ行為アルコト

(2)  行為ニ伴生スル公共安寧ニ危惧ヲ惹起スベキ行為アルコト例之溢水罪ノ如キ必然的公共危険ヲ伴生スベキ行為ヲナスコト

飜テ窃盗行為ハ其行為自態又ハ之ニ随伴シテ公共ノ安寧ヲ紊乱スル行為ナリト認メ難シ。

刑法其他ノ法規ニ於テ法ノ保護スル法益ニ公益ト私益ニ区別セラル而テ公安ヲ紊乱スル行為ハ公益ヲ脅威スル行為ニシテ個人ノ権益即私益ヲ侵害スル行為トハ区別セラルベキコトハ各法規ニ付キ明カニ看取セラルルトコロナリ窃盗罪ハ個人ノ財産権ヲ侵害スル行為ニシテ法ニ特別ノ規定アルニアラザレバ直ニ之ヲ公益ヲ脅威スル行為トハナラザルナリ例之自己ノ所有物件ニ放火シタル場合状況ニヨリ之ヲ処罰スル規定ヲ設ケラレタルガ如シ故ニ本件起訴状ニ記載セル窃盗行為ヲ公安ヲ紊シタル行為トハ云フベカラズ。

然リ而シテ被告人上田小妻ガ中毒ノ為メナシタル行為ハ公判廷ニ於テ相被告人杉山鉄之助ノ供述ニヨレバ「上田小妻ヨリ従来ノ通リ引続キ麻薬施用ヲ要請セラレタルモ拒絶シタルニモ拘ラズ座敷ニ座リ込ミ執拗ニ要求シ退去ヲ促シタルモ肯セザルノ態度アリ」トノ趣旨ヲ述べ上田小妻モ右供述ヲ否定セザルヲ以テ同人ハ麻薬中毒ニヨル苦悶ニヨリテ杉山鉄之助ニ麻薬施用ヲ要求シ同人ヲ困惑セシメタル行為ハ認メラルベキモ杉山鉄之助ニ対スル個人的ニ此程度ノ行為ハ公安ヲ紊ス行為ト云フベカラズ然レバ即本件起訴ノ事実ハ自態ニ於テ麻薬取締法違反タルノ行為ナシト信ズ。

次ニ本件判決ニヨレバ

被告人上田小妻ハ麻薬中毒患者ニシテ中毒症状により麻薬入手に狂奔し資金に窮するときは之を得る手段を選ばず因て

(一)  昭和二十三年七月中上野市字寺町渡辺清躍方より同人所有の座蒲団十七枚を持ち去り

(二)  昭和二十四年二月八日頃同市八幡町吹田喜代次方より同人所有の衣類二点を持去り

以て自制心を失なつたものである。

此判決ハ被告人上田小妻ヲ処罰シタル理由ヲ説明シテ被告ガ中毒ニヨリ他人ノ物ヲ持去リ因テ以テ自制心ヲ喪失シタリト論断セルモ其実際ハ自制心ヲ喪失セルガ為メ他人ノ物品ヲ持去ルノ行為ヲナシタルモノニシテ此行為ニ因テ自制心ヲ喪失シタルニハアラザルナリ此レ刑訴法第三八二条ノ事実ヲ誤認シタル判決ナリト思料ス不服第一ノ理由也。

(ロ)  判決ハ自制心喪失ヲ以テ被告人ヲ処罰シタリ。

仍テ自制心喪失トハ如何ナル意ナルカヲ按スルニ自制心トハ行為ヲ統制スル意思能力也ト解スベキガ故ニ自制心ノ喪失トハ意思統制能力ノ喪失シタル精神状態ヲ表現スル語也。

詳説セバ自制心トハ生理的健康者ガ社会生活上ニ正邪善悪ヲ弁別スル正常ナル精神状態ヲ喪失シタル者ナリト云フベク刑法第三十九条ノ心神喪失者又ハ心神耗弱者トハ正ニ之レニ属ス而シテ心神喪失ハ其原因ノ何タルカハ問ワザル所ナルヲ以テ麻薬中毒ニヨル意思能力ノ喪失モ亦心神喪失ナルコト勿論ナリトス。

庶莫自制心トハ精神状態ノ領域ニ属シテ未ダ行為ヲ構成セズ何者犯罪ハ行為ニシテ行為ニハ意思ニ基ク動作アルコトヲ其要素トス自制心ノ喪失ハ意思ノ領域内ニアリテ動作ニ関聯ナキ精神状態ナレバナリ。

果シテ然ラバ刑罰ノ基礎タル犯罪行為ヲ構成セザル意思ノミヲ執テ之ニ刑罰ヲ科シタル判決ハ根本的ニ誤謬アルモノト信ズ(刑訴法第三八〇条三八二条)不服第二ノ理由也。

又此判決ガ前説明ノ如ク意思ノミヲ刑罰ノ対象トシタル誤謬ハ暫ク措キ刑法第三十九条心神喪失ト認メタルカ又心神耗弱者ト認メタルカ若シ前者ナリトセバ処罰スベカラザルヤ勿論ニシテ後者ナリトセバ当然其刑ヲ軽減セラルベキナリ此点何等説明ナキヲ以テ判決懲役六月ノ刑ノ生ジタル基本刑ヲ知ルニ由ナシ若シ法定減刑ニヨルトセバ被告ニ対スル刑ハ三月以上六月以下ニ於テ量定セラルベキ也(麻薬取締法第四条四号同法第六〇条ニハ六月以上一年以下ノ懲役)科刑六月ノ刑ハ最長期ノ刑ニ当タル当時被告人ガ禁断現象ノ苦悶ヨリ脱センガ為メ行ヒタル行動並ニ其情状ハ一件記録ニヨリテ推測セラルルガ如ク此種此程度ノ行為ニ対シ法定ノ最長期ノ刑ヲ科スルハ刑訴第三八一条ノ刑ノ量定不当ナリト思料ス不服第三ノ理由也。

尚被告人ハ公安ヲ紊シタルモノトシテ起訴セラレタル本件公訴事実ニ付キテハ裁判ヲ為サズ且之レニ付キ其理由ヲ説明セズシテ起訴以外ノ自制心ノ喪失ニ付キ判決セラレタルハ刑訴法第三七八条三号四号ノ場合ニ該当スル判決トシテ破棄セラルベキモノト信ズ。

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